被害者の声

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私は10歳 夢もたくさんある。

あの日2年前の8月4日

いつものように校庭で遊んでいただけ

ねぇママ、私の夢はもうかなわないの?

牡丹江市光華街事件の原告仲江さん

 

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【東京高裁控訴審での証言】

 

尊敬する裁判官殿

 私は、1982年7月16日に中国侵略の日本軍が遺棄した化学兵器の被害を蒙った被害者、仲江と申します。

 私は、本来、天真爛漫で活発で憂いもない若者でした。しかし、1982年7月16日、私が一生忘れることのできないこの日が、私を破滅に追い込み、私の運命を変えてしまいました。この日から、私は誰とも会いたくなくなりました。そのために、元の住所から引越ししました。

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松花江紅旗09号事件の原告李臣さん

 

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【東京高裁控訴審における証言】

 

尊敬する裁判官殿

 私は、李臣と申します。今年61歳です。私は、1974年10月20日にジャムスで浚渫(しゅんせつ)作業をしている時に、毒ガスの被害を蒙りました。被毒以降、大変な苦痛に悩まされてきました。瀋陽の202病院で治療を受ける間、手にできた水泡が破裂して、腐乱しました。傷口がこれ以上大きくならないため、毎日はさみで腐っている肉を切り落とし、はさみが届かないところはガーゼで肉片を擦り取りました。あまりの激痛で何回も気絶しました。生きるより死んだほうがましとの思いで、これ以上生きる気力を失いそうになりました。退院後も繰り返し発病し、何回も北京の307病院で治療を受けました。指がつながり、アヒルの足のようになり、1975年に二回分離手術を受けました。

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牡丹江市光華街事件の原告孫文斗さん

孫文斗 (2).JPG【東京高裁控訴審における陳述書】 

1 経歴
  私は1960年1月26日に山東省で生まれました。生まれた時の家族は、両親、兄、姉、弟2人と私の7人でした。
  私は、1968年に山東省から牡丹江へ引っ越しました。牡丹江へ引っ越したのは牡丹江では、父の姉の養子となったからです。その時から私は、叔母と叔父と3人で暮らし始めました。
  学歴は、中学校を1976年に卒業し、卒業後、大工仕事のアルバイトをしていました。
  1979年の7月17日から、牡丹江市政工程処(現在は、牡丹江市市政建設工程総公司第1分公司)に、現場作業に従事する正式職員(ポンプ工)として就職しました。その後、1986年から1年間、職場の技術研修を受けたことがあります。事件後重労働に堪えられなくなったため、軽労働にかえてもらうためです。
 

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「小芥子気」(マスタードガスの子供)と呼ばれて

【東京高裁控訴審における陳述書】

 私は「孫永剛」と言います。日本侵略軍が遺棄した化学兵器--マスタードガスによる被害者の息子です。(原告孫文斗
「マスタードガス」と言うと私は自然に気持ちが悪くなります。かっての記憶に耐えられなくなるからです。本来なら私だって楽しい幼年期があったはずです。でも、私の子供時代の夢は憎らしいマスタードガスのためにうち破られてしました。私がやっと物心が付いた位の時にある人が私のことを「小芥子気」(マスタードガスの子供)「小毒ガス弾」(毒ガス弾の子供)と呼びました。当時私は「芥子気」と「毒ガス弾」がどんなものであるか全く知りませんでしたから、恐らく大人たちが私に付けたあだ名か又は冗談だろうくらいに考えていました。
 

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チチハル事件の被害者の声

チチハル事件の「被害者の声」はこちらのサイトに詳しく掲載されていますので是非ご覧下さい。

「チチハル8・4被害者を支援する会」

http://www.84qiqihar.net/wordpress/

 

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6月29日集会のご案内~NO MORE化学兵器 2013~

今年はチチハル事件発生から10年を迎えます。

現在,チチハル事件は最高裁に上告中,敦化事件は東京高裁にて控訴審を戦っていますが,被害者の被害回復は置き去りにされたままです。

そこで,今一度みなさまに遺棄毒ガス兵器の被害についてお知らせするとともに,ベトナム戦争でまき散らされた枯れ葉剤が今もなお悲劇を生んでいることをご紹介し,化学兵器被害について考えていければと思い,集会を企画しました。

皆様ご参集ください。

 

日時:6月29日(土) 18:30~20:30

場所:文京シビックセンター26階・スカイホール

(東京メトロ 南北線&丸ノ内線 後楽園駅5番出口)

(都営地下鉄 三田線&大江戸線 春日駅 文京シビックセンター連絡口)

① 特別講演

講師:中村 梧郎さん(日本ジャーナリスト会議代表委員、日本写真家協会会員)

演題「今も続く枯れ葉剤の悲劇」

  ベトナム戦争が終わって38年が過ぎた。しかし枯葉作戦によってベトナムに撒き散らされたダイオキシンは、未だに新世代の先天異常を引き起こしている。問題はベトナムにとどまらず、沖縄の米軍基地の汚染もここ数年で発覚した。だが日本政府は調査さえせず事態を放置したままだ。一方、ベトナムや韓国では米軍に毅然として抗議、汚染者責任を追及した。ダナン元米空軍基地では昨年から米国の予算によって土壌浄化作業が開始されている。

② 映像で伝える遺棄毒ガス被害の実態

③ 高裁判決を乗り越え最高裁での闘いへ ―チチハル・敦化事件弁護団からの報告―

 

資料代:500円

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