遺棄毒ガス問題について

「遺棄毒ガス」「遺棄化学兵器」という言葉について、聞いたことがあるという人はとても少ないと思います。ナチスドイツの強制収容所で毒ガスが使われていたということは知っている人はいるでしょう。しかし、かつて日本でも毒ガス兵器が研究され、製造され、戦線に配備されていたというのを知っている人はほんとうにまれだと思います。ここでは、世界と毒ガス兵器の歴史、日本と毒ガス兵器の歴史をはじめとし、現代でも日本や世界が抱える「遺棄毒ガス」について解説します。

化学兵器の誕生と国際法

 古代よりトリカブトや砒素など、自然界から生成された毒剤や、硫黄を燃やした亜硫酸ガスが戦争で使用されたことはあったと伝えられている。
しかし、製造技術に限界があり、大規模に応用されることはなかった。

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日本軍は毒ガス戦をいかに準備したか

  第一次大戦でヨーロッパ各国が毒ガスを使用したことに、日本の軍部は多大な関心を寄せた。まず、1918年に陸軍軍医学校で化学兵器研究室ができる。当時、一等軍医だった小泉親彦がその責任者に就任した。
 同じ頃、シベリア出兵で毒ガス戦の装備を必要と判断した軍は、臨時毒瓦斯委員会を発足させた。小泉もこの委員会の委員で、主にに防毒の研究を進め、新式の防毒マスクを開発した。これらのマスクはシベリアに約2万個送られた。
 

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毒ガスを日本でどう造ったか

 陸学科学研究所で化学兵器が研究され、国内での毒ガス生産が可能になると、それをどこで製造するかが問題となった。絶対に秘密が守れて、事故が起きても災害を最小限に留めることができる場所―――それが広島県・竹原市、忠海港より船で数十分の距離にある大久野島だった。

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毒ガス兵器を中国でどう使ったか

1937年、日中全面戦争が始まると日本軍はすぐ各種毒ガスの使用を開始した。「支那事変二於ケル化学戦例証集」(1942年陸学習志野学校作成)には、1937年から1942年まで、日本軍が中国大陸で実施した毒ガス戦の中から特徴的な56例が挙げられている。その中には、くしやみ性のあか剤や致死性の高いびらん性きい剤(イペリット)を使った兵器(あか弾、きい弾)の実戦結果も示されている。

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「化学兵器禁止条約」について

 「化学兵器禁止条約」は、正式名称を「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」といい、化学兵器の廃絶を目指す多国間条約である。1992年9月、国連軍縮会議において条約案が採択され、93年1月13日にパリで署名式が行われ、97年4月発効した。2001年2月現在の締約国数は143カ国。主な未加入国は、北朝鮮、イラク、イスラエル、リビア、エジプト等。条約の遺棄化学兵器に関する部分は以下のとおり。(内閣府化学兵器処理担当室webサイトより)
【注】条約本文は外務省のwebサイトから閲覧して下さい。

 

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平和な現代に起きている毒ガス被害

◇平和な現代に起きている毒ガス被害事件
 戦後,中国ではこれまでに,およそ2000人が遺棄毒ガスの被害に遭い,2003年から2005年にかけても計49名(うち1名が死亡する)が被害に遭っています。
 日本でも,2003年茨城県神栖市で,井戸水から毒ガス原料が発見され,住民の方々が被害に遭っていることがわかりました。2005年に地中から発見されたコンクリート塊が汚染源と考えられています。

 

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毒ガス被害者の人権回復と日中関係の未来のために

中国人遺棄化学兵器被害事件・解決提言 
 ―被害者の人権回復と日中関係の未来のために―

被害者の解決要求と政策提言
1 被害者の解決要求
① 日本政府は旧日本軍の遺棄した化学兵器による中国人被害者(以下「中国人遺棄化学兵器被害者」という。)に対し,責任のあることを認め,真摯にお詫びすること。
② 日本政府は中国人遺棄化学兵器被害者に対し,適切な補償を行うこと。
③ 日本政府は中国人遺棄化学兵器被害者に対し,医療ケア等の支援を行うこと。
④ 日本政府は中国人遺棄化学兵器被害者に対する根治治療の研究に努めること。
⑤ 日本政府は中国人遺棄化学兵器被害者に対し,生活支援を行うこと。
⑥ 日本政府は,旧日本軍の化学兵器の製造・配備・使用・遺棄の事実に関する情報の収集を行い中国政府に伝えるなど,被害防止に真摯に努めること。

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すべての遺棄化学兵器被害者の解決を求めて

すべての遺棄化学兵器被害者の解決を求めて    弁護士  南 典男


 07年7月18日,東京高等裁判所第5民事部(小林克巳裁判長)は,李臣さんら原告たちの請求を棄却しました。1審では勝っていた判決を翻したもので,極めて不当な判決であることは言うまでもありません。
しかし,この判決は,2つの点で,今後の政治解決の根拠を提供しています。
 ひとつは,日本軍が毒ガスを遺棄したかどうかという最大の争点に決着をつけた点です。判決は,1審同様,「旧日本軍は,日中戦争中に,多数の毒ガス兵器等を中国に持ち込み,これを各地に配備した上,その終戦時には,これを隠匿して遺棄したものも含め,日本国政府が認めているだけでも70万発にのぼる毒ガス兵器等が中国国内に遺棄されており,これらが適切に管理されていない状況が本件各事故の発生当時も継続していたこと」を認定し,毒ガス兵器が終戦に伴う武装解除によりソ連軍などに引き渡されたと認め得る証拠はないとし,本件各毒ガス兵器につき,日本軍のものではなく,ソ連軍あるいは国民党軍のものである可能性があるとの国の主張を証拠に基づき明確に退けました。
 

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中国における遺棄化学兵器問題について

【内閣府遺棄化学兵器処理担当室webサイトより】

中国における遺棄化学兵器問題の経緯

 中国における遺棄化学兵器問題は、第二次大戦終了までに旧日本軍により中国に持ち込まれた化学兵器が終戦後も残されたままであったことから、平成2(1990)年に中国政府がその解決を日本政府に非公式に要請してきたことに端を発する。
 その後、我が国が平成7(1995)年9月15日に、また、中国が平成9(1997)年4月25日に、各々化学兵器禁止条約を批准し、同年4月29日に同条約が発効したことから、我が国は、同条約に基づき遺棄締約国として中国における遺棄化学兵器の廃棄を行い、中国は領域締約国として廃棄に対し適切な協力を行なうこととなった。

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化学兵器の歴史年表

【毒ガス展パンフレットの年表に管理人が補正したものです】

1840~42年 アへン戦争 中国、南京条約を締結し 香港をイギリスに割譲
1853年 ペリー来航
1854年 日米和親条約
1858年 日米修好通商条約
1868年 明治維新 日本は欧米列強の道を進む
1874年 2月、閣議で台湾出兵決定 5月、上陸(琉球漁民殺害を口実に)
1875年 日本の軍艦が朝鮮の江華島を砲撃
1889年 大日本帝国憲法発布
1894年 日清戟争始まる(~95年)
1895年 下関条約調印 清国賠償金支払う(日本は、この資金で近代化・軍事化を促進)台湾を植民地化
 

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敦化事件,チチハル事件3月16日弁論報告

3月16日,敦化事件,チチハル事件両方の弁論がありました。

午前中にチチハル事件の弁論がありました。チチハル事件では,1 国は,外国人の国家賠償請求が認められるためには,日本人がその国で被害を受けたときにも国家賠償請求が認めてもらえるという相互保証がないといけない,中国にはそれがない,つまり日本人が中国政府から被害を受けたときに国家賠償請求ができるという規定がないから,中国人の日本政府に対する国家賠償請求もできないという主張をしています。これに対して,弁護団から,中国でも,普通の人に適用される民法を国にも適用する範囲を広げるなどして国に対して損害賠償ができるように工夫されている(これは戦前の日本でも行われていた解釈です)

午後からは敦化事件の弁論がありました。こちらは,1 戦前は,国家賠償請求というものがそもそも認められていなかった,何人たりともお上に賠償を求めるなんてことはできなかったのだから,毒ガスを遺棄したこと自体に対する責任は認められない(これを国家無答責と言います)という国の主張に対して,国家権力の発動といえる処分(許認可とか)はそうかも知れないが,毒ガスの遺棄は,単に捨てただけであり,私人がする行為と変わらない行為だから,国家無答責なんて認められないという主張と、2 日中平和友好条約で、戦争中荷個人が受けた被害について損害賠償請求権を放棄したというのはおかしいという主張をしました。

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遺棄毒ガス被害問題について各政党に質問状

遺棄毒ガス被害事件についての支援グループの一つである

中国人戦争被害者の要求を支える会が、各政党に公開質問状を出し、各政党からの回答を掲載していますのでご紹介いたします。内容についてはリンクをご参照ください。

 

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チチハル事件控訴審、不当判決!

チチハル控訴審判決.pdf

9月21日、チチハル事件控訴審の判決がありましたが、全くの不当判決でした。

弁護団声明を掲載しますので、皆様ご覧ください。

敗訴判決にめげずに粘り強く医療支援、生活支援を求めることが、本当の遺棄毒ガス被害者への支援になるものと信じております。皆様引き続きご支援お願い申し上げます。

声   明

 

1 本日、東京高等裁判所第2民事部(大橋寛明裁判長)は、中国チチハル遺棄化学兵器被害訴訟につき、控訴人ら(被害者とその遺族・合計50名)の請求を否定した一審・東京地裁判決を追認し、控訴棄却の判決を言い渡した。

 

2 本件は、200384日、中国黒竜江省チチハル市のマンション工事現場から掘り起こされた5本のドラム缶(後に、旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器と判明)から漏れ出た毒ガス(イペリット・ルイサイト混合液)によって44名が死傷した事故について、十分な被害防止措置をとらなかった日本政府の責任を問うものである。

 

3 本日の判決は、一審判決と同様に、旧日本軍の毒ガス遺棄という違法な先行行為によって生命・身体という重要な法益に対する危険性が切迫した状態にあり、国の担当者はチチハル市内でかかる毒ガスが付近住民に危害を及ぼすことを予見することは可能であったと認めた。しかしながら、チチハル市内には多数の軍事関連施設が存在していたから、そのどこかに毒ガスが遺棄されていることが予見されるというだけでは、予見可能性として十分とはいえないとしたうえで、具体的な遺棄場所に関わる情報を日本政府が入手して中国政府に提供できなければ本件事故を回避する措置を執り得ず、旧日本軍の関係者から事情聴取をしたとしてもそのような情報を得ることはできなかったとして、国の責任を否定した。

しかし、このような判断によって被害防止のための調査を全く行っていない国を免責すれば、今なお中国の大地に眠る多くの遺棄毒ガスによって今後も生じるかもしれない被害についても悉く国を免責することになり、法の拠って立つべき正義・公平の理念に反するものであることは言うまでもない。このような論理によって現に今も苦しんでいる被害者を放置することになれば、法および司法への信頼は地に堕ちることになる。

われわれは直ちに上告して、最高裁の判断を求める所存である。

 

4 被害は甚大である。毒ガスをほぼ全身に浴びた1名(李貴珍)は18日間に及ぶ苦闘の末に全身化学熱傷で命を落とした。命をつなぎとめた43名も、いまだ、呼吸器、眼、皮膚などの症状、免疫機能の低下、神経障害などの重篤な後遺症に苦しんでいる。ほとんどの被害者は働くことができなくなっており、家族関係の破綻、伝染するとの風評による差別などもあり、子どもたちは将来の夢を失った。

  失われた命・健康はもう元に戻せない、でもせめて、安心して医療を受け、生活できるようにしてほしい。その思いから、被害者たちは日本政府に生活・医療保障を求め続けてきた。本件訴訟は、そのような被害者支援政策の実現のための契機とするために提起された。

 

5 本日の判決は、一審判決同様、事故発生の予見可能性を認めたうえ、本件事故により控訴人らが受けた生命、身体への被害は甚大であり、その精神的苦痛、肉体的苦痛は極めて大きいものであったことは明らかであることも認めている。2つの判決が揃って認定したこれらの被害を直視すれば、日本政府の責任は明確と言わなければならない。

  控訴審に入ってからもすでに被害者2人が亡くなっており、そのうち肝臓がんにより死亡した1名(曲忠成)については、がんの進行の速さなどから、毒ガス被害の影響が指摘されている。生き残った被害者たちも、そのほとんどが進行性の被害に苦しみ、稼働能力を失っている。生活と医療に対する保障の必要性は今なお高まる一方である。

  政府は、これらの判決の認定を真摯に受け止め、被害実態を直視し、全ての遺棄化学兵器被害者に対する医療支援・生活支援の政策を実現すべきである。われわれは、今後とも法廷内外において、この政策形成を実現するために全力を尽くすことを表明するものである。

 

2012921

中国チチハル遺棄毒ガス訴訟弁護団

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